私たちは何のために学ぶのか?

新百姓大學

Universitas of Creativitism

■新百姓大學とは?

自分の衣食住や仕事を自分の手でつくる知恵と技を試行錯誤しならが身につけ、最先端テクノロジーや複雑な社会システムすら仲間とともに切磋琢磨しながら遊ぼうとする人たちの学び合いの場。

■なぜやるのか?

私たち人類は、先輩たちの探究や冒険のおかげで、物質的にも経済的にも、いままで経験したことのないような豊かさを手にしています。なのに、なぜ、私たちは未だに毎日を遊んで暮らせないのでしょうか?なぜ、私たちは何かに追われるような漠然とした不安に常に苛まれるのでしょうか?なぜ、私たちは同じ世界に生きる他の人達と競い、蹴落とし合わなければならないのでしょうか?

私たちは、ほんの100年前と比べても、もはや十分に豊かなのに、いまなお不安に怯え、競い、奪い合っている。その理由は、じつは、私たちの社会をつくる人たちが持っている、ものの見方にあるようです。

これまでの社会、資本主義(Capitalism)の社会の土台には、「この世界は不足し、奪い合うしかない世界」という見方があります。不足し奪い合うしかない世界を、なんとかして上手に操作しながら、少しでも豊かに、安全にみんなが暮らせるように、そう祈る中で、私たちは、世界を機械のように見るようになりました。世界の仕組みを解き明かせば、きっと世界を思い通りに動かせるはずだ。そういう考えに基づき、子どもたちを教育していき、その中から生まれた優秀な研究者や起業家たちの探究によって、科学技術の目覚ましい発展がもたらされました。その結果、私たち人類は十二分に豊かな社会を築くことができています。

しかし、にも関わらず、いまなお、私たちの「ものの見方」は「不足し奪い合うしかない世界」のまま。

だから、すでに有り余るほど持っているのに、いまなお、誰かと競い、奪い合うことを前提とし、誰かに勝つため、誰かよりも優れるための教育や働き方、暮らし方が当たり前のものとされつづけています。

もちろん、それらも、これまでは意味のあるものでした。
しかし、情報革命が起こり世界中の出来事が瞬時につながるようになった2000年代以降、私たち人類を取り巻く状況はガラリと代わりました。さらに、ここから十数年先には、AIやロボットが人間を超える日が来ます。
この大きな環境の変化によって、従来の「求められている答え」を出すための、学びや働き方、「社会が価値とする生き方」をなぞるような暮らし方は、もはや意味を失いつつあります。

その代わり、新たに私たちに求められているのは、「何を大切とするのか?」という価値自体を決めたり、つくり出すことだったり、「問い」そのものをつくり出したり、あらたな「余白」を見つけだすことです。

そう考えると、いまの詰め込み型の学びや、システムの求める答えに一生懸命応えようとする働き方、システムの価値基軸にしたがって形づくる暮らし方、などは、とんでもなく無駄な方向への努力をしていることになるのです。

だからこそ、いま私たちは、これまでの常識や慣習とは、全く異なる世界や価値に対する見方、にもとづく、全く新たな学び方や働き方、暮らし方をつくる知恵や技、テクノロジーやシステムをつくる必要があります。

だから私たちは、それぞれが、新しい時代の新しい生き方をつくり出すための苗床、発酵の場として、「新百姓大學」をつくることにしました。

■本學の特徴

■これまでの学校と新百姓大學の違い
1、教える側と教えられる側が固定している → 全員探求者(互いに教え、教わり、ともに試す。)
2、求められている答えを出す能力を磨く。→自分の特性を活かし、問い、試しながら成長するコツを身につける。
3、学校や会社が能力を測る → それぞれが自分の理想と現実のギャップを把握し、実現までの階段を考える。
4、学歴などの社会的な評価を得る → 自らの手で自らの環世界を楽しみながらつくる知恵と技を身につける。
5、「子ども」を「大人」に育てる → 自律、探究、冒険のために学びたい人が集い、学び合う。

■全体像

■学部 
社会や会社や学校、他人の考えに従うだけで自分の頭で突き詰めて考えて来なかったこれまでの生き方から、なぜ学ぶのか?なぜ働くのか?どんな風に暮らしたいのか?どんな風に生きたいのか?を自分で考え、それぞれの理想にむけて、自分の衣食住や働き方といった生き方自体を自分自身の手で、身近な自然やモノやテクノロジーやシステムを使って、楽しみながらつくりだす知恵と技を身につける、自分のものの見方、考え方、選択や行動を変えていく機会

■大学院
自分自身の衣食住や働き方を自分でつくる知恵や技を身に着けることで、社会システムを活用する段階に入った人の仲で、他の人達の「つくる知恵や技」「つくる喜び」を
花ひらかせるための道具やサービス、仕組みを事業としてつくってみたいと思った人たちが、自分の想いをアイデアにし、アイデアをプランにし、プランにもとづく試作品を何度もつくりながら磨き上げていくことで、そのヒト、この風土ならではの、面白い事業をつくり出すための、起業家予備軍むけの試行錯誤と切磋琢磨の場。

■サークルや学園祭など
・「あいら部っ!」=全学共通、世代や地域を超えて「大好きっ」なものを通してつながるサークル活動

・年1回の「學園祭」=昼はカネを介さずに互いが「つくったもの」を物々交換する新百姓いち場
          =夜は食べる物もお酒も歌も踊りも手づくりして分かち合う新百姓の収穫祭

・雑誌「新百姓」=Artistic Entrepreneurや、新百姓大學から生まれた場やモノ、コトの物語の可視化

■先輩探求者たち

新百姓大學には、教えることが仕事の「先生」は一人もいません。
の代わりに、たくさんの先輩探求者のみなさんから学ぶことができます。
先輩探求者とは、自らの「問い」や「好奇心」に基づき、いままでの社会の常識に囚われない、あらたなプロダクトやサービス、システムを生み出すための事業を行いながら、自らが最前線で探究を楽しんでいる方々です。
有名、無名、学歴や社会的地位に関係なく、どなたも、新百姓編集部が、その人柄、現場、作品に直にふれることで、「このヒトから学びたい!このヒトと学びたい!」と思った方々ばかりです。

新百姓大學では、答えや解決方法を学ぶのではなく、それぞれ分野やテーマの違う先輩探求者たちの、これまでの試行錯誤の経験からもたらされた、ものの見方や、問い、最先端の仮説などをシェアしてもらいます。それらを知ることで、学生一人ひとりが、自分自身のものの見方や、問い、仮説を見つめ直し、さらに磨き、深めていく「問い」と「余白」に溢れた機会を提供します。


<新百姓大學0期に、参画をしてくれる先輩探求者一覧>

■参加対象

「新百姓宣言」の読者のなかで、学校や職場、他人や社会が求め、価値を認める働き方、暮らし方、生き方を突き詰めていく人生ではなく、自分自身が大切にしたい、自分自身が面白い、楽しいと思う働き方、暮らし方、生き方を、自らの手でつくり出す知恵と技を身につけるとともに、それを一緒に楽しめる友人や仲間と出会いたい方。

■私たちの見方

あらゆる出来事を、これまでの機械論的Capitalismではなく、縁起論的Creativitismに基づく見方で見つめています。

「成功」とは?  他者よりのカネをもつこと。→ つくることに夢中になって楽しんでいる状態。
「成長」とは?  社会に適応する能力を高めること。→ つくるに夢中になっているその瞬間。 
「失敗」とは?  過ち     → 挑戦の証 
「非常識」とは? 社会不適合  → 革新の素養 
「不登校」とは? 落ちこぼれ  → 主体的な者
「過疎化」とは? 地方の破綻  → 創造の余白の拡張
「祭り」とは?  面倒な義務  → 共創の苗床
「子ども」とは? 未熟な存在  → 夢中のお手本
「家事」とは?  価値ない仕事 → 探究の舞台
「無駄」とは?  省くべきもの → 革新の素材 

0期参加者募集

新百姓大學0期(25年5月~12月)にて

・「Creativitismにもとづく見方、働き方、暮らし方へ、自分を変えるプロセスへ踏み出す学部」88名(年齢制限無)

・不登校中高生限定の「不登校を自律の知恵と技を身につけるチャンスにする学部」
40名

をそれぞれ募集します。

0期は、大學の仕組み自体をつくる

→募集内容、申込詳細はこちら